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基本

日本の義務教育では9年間かけて色々なことを学ぶが、そのほとんどが大人になってから役に立っていないのが現状だ。例えば、漢文、微分積分、科学反応式、鎌倉時代などは、特殊な分野のスペシャリストとして仕事をしている人以外は必要とされる状況に遭遇することはないのではないだろうか。義務教育とはどんな分野に進んだとしても役に立つような基本の能力や知識ばかりを養う教育過程だと思っていたが、実際は全く違った。

一般的に社会人になってからも必要とされる機会の多いのは英語だ。日本には社会人を対象とした膨大な数の英会話学校や英語教材が存在する事実が、基本的な能力が備わらない教育過程であることを立証していると言っていいだろう。そもそも、文法が違いすぎる日本語を母国語にする日本人にとっては、あれだけの量の文法や単語を短期間で詰め込むことに無理があるのかもしれない。もし、中学教育では実用的な簡単な単語で構成された一行程度の英文だけに限定して聞いて理解する訓練だけを徹底していれば、違った結果になっていたのかもしれない。街で外国人に話しかけられた一行程度の英文さえも聞き取れなくて、ビジネスの場で使える英語につながっていくはずがない。

サッカー少年は、ボールを止める蹴るの練習を毎日何度も何度も繰り返すことで、基本の力をつけていく。辛うじてボールを止められるくらいのレベルで、戦術やシステムを詰め込まれても全く意味がない。どんなに速い英語で道を聞かれてもリラックスして答えられるような鋼鉄のような基本の力が重要なことに日本の教育者はそろそろ気づくべきだ。

訴求

日本の奇妙な文化としてパッケージに貼られる訴求シールがある。もう何十年も続く日本独自の文化だ。基本デザインの上に堂々と貼られる「No.1」や「おいしくなりました」の文字にどれだけの効果があるのかといつも疑問に思う。

パッケージデザインに関わって20年近くになるが、この訴求シールに効果があったと実感したことは一度もない。スーパーやドラッグストアで何も考えず空っぽのような意識で訪れる人がほとんどなので、「見ていない」というのが率直な意見ではないだろうか。訴求シールを利用している唯一のブランドなら機能するのかもしれないが、全ブランドが当たり前のように利用していては説得力は無に等しい。

一番の問題は、基本デザインが隠れた状態で商品を選ぶことだ。もしもCDショップで3cm角の訴求シールが中心部に貼られる仕組みを導入したらどうなるだろうか?ネットショッピングに対して唯一の武器である「手に取って選ぶ楽しさ」を奪うことになり、CDショップは世の中からすぐに消えてしまうだろう。購買意欲をそぎ落とす訴求シールの仕組みは経済的な損失を生んでいると言える。

日本の美意識は、ものの本質だけで成立させる簡潔性にあったはずだ。一年間限定で国内すべてのパッケージ上の訴求シールを禁止して、基本デザインだけで勝負する日本を試してみてはどうかと思う。きっと目深に帽子を被ったモデルたちをオーディションするような毎日から解放された喜びの声が多数あがるだろう。

教養

一昔前のレンタルビデオ店では、がっかりさせられることが多かった。会社から帰宅する深夜にお店に行くと、わざわざ深夜に返却する人がほとんどいないので、借りたいと思っていた新作はどれもレンタル中になっていることが多かった。新作にめぐり遭う頃には、もはや新作ではなくなってしまっていた。ほとんどの場合、まだ観ていなかった古い名作映画を借りるようにしていた。データでレンタルできる時代になってからは、確実に新作映画を観ることができるようになったが、「まだ観ていなかった古い名作映画」を観る機会を完全に失った。

「まだ観ていなかった古い名作映画」とは、評判はかなり良いのだが、自分の趣味嗜好から少し外れていていた映画のことだ。断固として観ることを拒否をしていた訳ではなく、誰かにそっと差し伸べてもらえれば観ることができた映画だ。新作がすべてレンタル中であったため、一時的にどうでも良くなってしまった心境が許容範囲を広げてくれていたのだと思う。100%とはいかないが、そういう心境から借りた映画に大満足したことが何度もあった。偶然手にした教養の範囲を広げてくれるシステムだったと言ってもいいだろう。

好きなものにピンポイントで手が届きすぎる現代に少し不安を感じる。自分の趣味嗜好から少し外れたら、一生触れる機会を失う可能性だってある。次のレンタル映画サービスには、ロシアンルーレットのように1/6の確率で全く異なるジャンルの映画がレンタルされてしまう不確実なボタンを付けても面白いのかもしれない。

重量

宅配便などで荷物を送る時には必ず重量によってコストが変動する。誰もが当たり前のようにこのシステムを理解しているはずだ。しかし、空港ではこのシステムが完璧に反映されていないことに気づく。

国内外問わず空港に行けば荷物の重量をチェックされる。そして、エコノミーでもビジネス以上でも決められた許容重量をオーバーすると追加料金が発生する。ここまでは宅配便などと同じように重量でコストが変化するシステムだ。ただ、忘れてはいけないのは人も飛行機に搭乗するということだ。飛行機目線でみれば、荷物の重量と人の重量の両方で負荷をかけられる。しかし、実際には10kgの軽い荷物を持つ120kgの肥満体型の人と許容重量オーバーである30kgの荷物を持つ60kgの小柄な人では後者の方がコストが高くなる。荷物と人の総重量として比較すれば、圧倒的に前者の方が大きいにも関わらず、後者だけ余分な追加料金を請求されてしまうのである。エコノミーでは肥満体型の人が隣の席の人を圧迫してしまうことは頻繁に起こる。それなのにその余分な脂肪に超過料金が適用されないのは不思議だ。

荷物と人の総重量で許容重量を設定するユニークな航空会社が1社でも出てきて欲しいものだ。アジア人と欧米人ではもともと骨格が圧倒的に異なるので、欧米人の目線では不公平なように見えるかもしれないが、世界全体でのダイエット促進に一役買うことができるのかもしれない。