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曖昧

日本人は曖昧な表現をよく使う。職場、学校、家庭での会話では常に曖昧な表現があり、相手の気持ちを性格に把握できない場合が多い。

「この曲好きかもしれない」

この場合、好きになりかけている不確かな状況かもしれないが、ほとんどの場合は周囲とのバランスと取ろうとしているはずだ。断言せずに少しグレーゾーンに持って行っていた方が、相手や第三者がその曲をあまり好きではないという流れになった時に対立関係から逃げやすい。一種の危機管理と言えるだろう。意味の捉え方が複数ある表現で意思表示ができるおかげで、この国は平和を維持してきたのかもしれない。

「そうですね」

インタビューに答えるスポーツ選手ほとんどの第一声がこの言葉で始まる。本来は同調を表す言葉だが、考える間の時間稼ぎに使用されることが多い。インタビュアーの意見に同調していないのに「そうですね」では混乱を招く。しかし、この言葉が変な勇気を持たせている。これまでのスポーツ選手が「そうですね」を多用してきたことで、意見や考えがまとまっていなくても、「そうですね」でつなげば、まともに答えているように錯覚させているのだ。

こんな曖昧な文化でもよかったと思えることが一つある。知人と思われる人に街で声を掛けられたものの、全くその人のことが思い出せない時に最終兵器でごまかせることだ。

「どうも」