無理のあるリメイクドラマ

アメリカのドラマを日本版としてリメイクする価値はあるのだろうか。

日本の平均ドラマ制作費は、アメリカの平均ドラマ制作費の1/10ほどと言われている。その制作費の違いが痛々しいほどスケールダウンした映像を生み出してしまう。アメリカ版のドラマでは、摩天楼を見渡せるオフィス、広大な敷地の豪邸、重厚な家具が並ぶ会議室などが映像に説得力をもたらす。日本版としてリメイクされると、チープなものに差し替えられてしまい、どうしてもパロディーのような世界観にシフトされてしまう。これはアイドル歌手がビヨンセをカバーするようなものだ。

そして、何よりも大きな問題は文化の違いだ。本家のアメリカ版で爽快に感じる大胆な行動や皮肉なセリフは、日本文化のフィルターを通せば、強い違和感を生み出す。ポケットに手を入れたまま上司の前で熱弁したり、会議室のテーブルの上で書類を滑らせて相手に渡したり、とぼけた表情で皮肉なジョークを言うことは、日本人俳優が無理しているようにしか見えない。漫画のように不思議な世界設定でもない限りは、皮肉屋で自信家のキャラクター設定などは日本人には不自然すぎるのだ。

打開策は1つだけある。日本のお家芸でもある主人公が皮肉屋で自信家のアメリカ人とぶつかって体が入れ替わるシーンを冒頭に追加すれば、キャラクター設定の違和感はなくなりそうだ。ただ、こういう手法だと世間からリメイクドラマと言われずコラージュドラマと言われそうだ。